備中松山城(岡山)_1979 [日本のお城 中国]
当時、学生でお金をかけずに行こうと山登りをした記憶があります。
着いたときは、心地よい疲れで写真を撮りました。
撮影アングルを探すのに苦労したことが、楽しい思い出です。
撮影日時:1979年11月 3日
撮影箇所:現存天守 (大きな写真はこちらのページでみてください)
明治維新をくぐり抜けた、江戸時代から残っている現存天守です。
現存天守の中で、山城で一番高いところにある天守です。
別名:高梁城 / 城タイプ:山城 / 遺構:石塁・現存天守
築城年代:天和元年(1681) / 築城者;水谷勝宗
主要城主:板倉氏
慶応3年当時
藩名:備中・松山藩 / 禄高:5万石
家格:譜代 / 藩主:板倉伊賀守勝静
岡山城(岡山)_1988 [日本のお城 中国]
視界にお城が見えてくると、烏城と言われるだけあって、黒い締まった感じの天守が印象的でした。
撮影日時:1988年11月 7日
撮影箇所:復興天守 (大きな写真はこちらのページでみてください)
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別名:烏城、金烏城 / 城タイプ:平山城 / 遺構:石塁・堀・復興天守 築城年代:天正元年(1573) / 築城者:宇喜多直家 主要城主:宇喜多氏、池田氏 慶応3年当時 藩名:備前・岡山藩 / 禄高:31万5千石 家格:外様 / 藩主:池田左少将茂政
庭瀬城・撫川城(岡山)_2011 [日本のお城 中国]
1602年庭瀬藩(戸川氏)→1679年天領代官所・撫川知行所(戸川氏)→1679年天領代官所→1684年庭瀬藩(久世氏)→1687年天領代官所→1693年庭瀬藩(松平氏)→1697年天領代官所という変遷を経て、1699年に庭瀬藩(板倉氏)として明治維新まで続いたようです。
庭瀬の街は、海路・陸路の起点として、内陸の港として栄えていたようです。
庭瀬・撫川地区の堀や水路による町割り、城跡や家屋の街なみの景観保全に取り組んでおり、埋め立てられていた旧庭瀬港(内港)を部分的に再現しています。
今度、時間をかけて歩いてみたいです。
撮影日時:2011年 3月20日 / 撮影箇所:石垣・堀・知行所総門・常夜灯
(大きな写真はこちらのページでみてください)
別 名:沼城、撫川陣屋
城タイプ:平城 / 遺構:石垣・堀・知行所総門・常夜灯
築城年代:永禄 2年(1559年)/ 築城者:三村家親
築城年代:1602年(庭瀬陣屋)/ 築城者:戸川逹安(庭瀬陣屋)
築城年代:1679年(撫川陣屋)/ 築城者:戸川逹富(撫川陣屋)
主要城主:戸川氏・板倉氏
藩名:備中・庭瀬藩 / 禄高:2万石
家格:譜 代 / 藩主:板倉摂津守勝弘
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福山城(広島)_1985 [日本のお城 中国]
東京から新居浜(四国)へ福山経由の高速艇で行きました。
福山で一泊し、早朝の福山城を散歩しました。
清々しい朝の日を浴びながら写真を撮った記憶がよみがえってきました
撮影日時:1985年 5月 4日
撮影箇所:復興天守 (大きな写真はこちらのページでみてください)
別名:久松城 / 城タイプ:平山城 / 遺構:石塁・城門・櫓・復興天守
築城年代:元和6年(1620)より / 築城者:水野勝成
主要城主:水野氏・阿部氏
慶応3年当時
藩名:備後・福山藩 / 禄高:11万石
家格:譜代 / 藩主:阿部主計頭正方
広島城(広島)_1996 [日本のお城 中国]
広島出張の際に、立ち寄りました。
とりあえず、お城の写真だけ急いで撮りました。
撮影日時:1996年 6月 4日
撮影箇所:復興天守 (大きな写真はこちらのページでみてください)
別名:鯉城 / 城タイプ:平城 / 遺構:石垣・堀・復興天守
築城年代:天正17年(1589)より / 築城者:毛利輝元
主要城主:毛利氏・浅野氏
慶応3年当時
藩名:安芸・広島藩 / 禄高:42万6千石
家格:外様 / 藩主:浅野左少将茂長