諏訪高島城(長野)_2015 [日本のお城 上信越]
今年 2回目の訪問になりました。
出張の前泊で上諏訪のホテルに泊まりました。
諏訪湖畔に向かう早朝散歩の途中に立ち寄りました。
お城周辺の木々が紅葉で色づいてきれいでした。
慶応3年当時
藩名:信濃・高島藩 / 禄高:3万石
家格:譜代 / 藩主:諏訪因幡守忠誠
出張の前泊で上諏訪のホテルに泊まりました。
諏訪湖畔に向かう早朝散歩の途中に立ち寄りました。
お城周辺の木々が紅葉で色づいてきれいでした。
慶応3年当時
藩名:信濃・高島藩 / 禄高:3万石
家格:譜代 / 藩主:諏訪因幡守忠誠
松代城(長野)_2015 [日本のお城 上信越]
今回の青春18きっぷ お城巡り 最終の目的地です。
松代は、城跡より 城下町としての見所がたくさんありました。
廃線になった長野電鉄屋代線のプラットホームと駅舎が『旧松代駅』として残っていました。
海津城跡公園(松代城)の後、真田邸(新御殿)など松代城下町を歩きました。
元々 城跡だけの予定で、城下町散策の時間があまり取れませんでした。
見きれないまま名残惜しく松代をあとにしました。
松代は、城跡より 城下町としての見所がたくさんありました。
廃線になった長野電鉄屋代線のプラットホームと駅舎が『旧松代駅』として残っていました。
海津城跡公園(松代城)の後、真田邸(新御殿)など松代城下町を歩きました。
元々 城跡だけの予定で、城下町散策の時間があまり取れませんでした。
見きれないまま名残惜しく松代をあとにしました。
撮影日時:2015年 8月14日(金)/撮影箇所:復元櫓・復元門・石垣・堀
(大きな写真はこちらへ)
海津城跡公園(松代城跡)
南の櫓門
北の櫓門
戌亥の櫓台
北不明門
別名:海津城、貝津城、長野城/城タイプ:平城/遺構:石垣、土塁、堀、太鼓門(復元)
築城年代:1560年(永禄3年) / 築城者:武田信玄 / 改修者:田丸直昌、森忠政
南の櫓門
北の櫓門
戌亥の櫓台
北不明門
別名:海津城、貝津城、長野城/城タイプ:平城/遺構:石垣、土塁、堀、太鼓門(復元)
築城年代:1560年(永禄3年) / 築城者:武田信玄 / 改修者:田丸直昌、森忠政
主要城主:武田氏、森氏、真田氏、田丸氏
藩名:信濃・松代藩 / 禄高:10万石
家格:準譜代 / 藩主:真田信濃守幸民
慶応3年当時
藩名:信濃・松代藩 / 禄高:10万石
家格:準譜代 / 藩主:真田信濃守幸民
甲府城(山梨)_2015 [日本のお城 上信越]
青春18きっぷを使ってのお城巡り 2日目です。
昔、仕事で何度か甲府に来たことがありますが、武田信玄像のイメージだけでした。
甲府城跡がこれだけ大きく残っているのを知りませんでした。
暑いといわれる甲府、早朝でしたが 熱気が残って 一汗かきました。
でも、甲府城跡 散策 気分爽快でした。
このあとすぐ、次の目的地 長野に移動しました。
本丸櫓跡 天守台から望む
天守台
山手御門
遊亀橋と堀
別名:舞鶴城、一条小山城 / 城タイプ:平山城
遺構:復元櫓・復元門・石垣・堀
築城年代:天正11年(1583年)or天正13年(1585年)
築城者:徳川家康
主要城主:浅野氏、徳川氏、柳沢氏
幕府 天領 / 甲府勤番→甲府城代
城代:松平右京亮輝照
昔、仕事で何度か甲府に来たことがありますが、武田信玄像のイメージだけでした。
甲府城跡がこれだけ大きく残っているのを知りませんでした。
暑いといわれる甲府、早朝でしたが 熱気が残って 一汗かきました。
でも、甲府城跡 散策 気分爽快でした。
このあとすぐ、次の目的地 長野に移動しました。
甲府城跡
稲荷櫓
稲荷櫓
本丸櫓跡 天守台から望む
天守台
山手御門
遊亀橋と堀
別名:舞鶴城、一条小山城 / 城タイプ:平山城
遺構:復元櫓・復元門・石垣・堀
築城年代:天正11年(1583年)or天正13年(1585年)
築城者:徳川家康
主要城主:浅野氏、徳川氏、柳沢氏
慶応3年当時
幕府 天領 / 甲府勤番→甲府城代
城代:松平右京亮輝照
松本城(長野)_2015 [日本のお城 上信越]
青春18きっぷを使ってのお城巡りの最初は、29年ぶりの松本城です。
昔の写真と見比べても 雄大な姿は、変わっていませんでした。
自分の年月は、松本城の歴史からするとほんの短い時間なのでしょうね。
天守に登城するのに150分待ちの表示が・・・結果 80分待ちでした。
テント下 椅子に座った行列で 風もあり、それほど苦になりませんでした。
天守の内部は、外観以上に歴史を感じさせる素晴らしい空間でした。
天守内部
天守より外を望む
二の丸御殿跡
黒門・太鼓門
お堀
別名:深志城 / 城タイプ:平城 / 遺構:現存天守・櫓
築城年代:慶長初期(1596~) /築城者:石川数正・康長
主要城主:石川氏・戸田氏
藩名:信濃・松本藩 / 禄高:6万石
家格:譜代 / 藩主:戸田丹羽守光則
昔の写真と見比べても 雄大な姿は、変わっていませんでした。
自分の年月は、松本城の歴史からするとほんの短い時間なのでしょうね。
天守に登城するのに150分待ちの表示が・・・結果 80分待ちでした。
テント下 椅子に座った行列で 風もあり、それほど苦になりませんでした。
天守の内部は、外観以上に歴史を感じさせる素晴らしい空間でした。
国宝 松本城
天守内部
天守より外を望む
二の丸御殿跡
黒門・太鼓門
お堀
別名:深志城 / 城タイプ:平城 / 遺構:現存天守・櫓
築城年代:慶長初期(1596~) /築城者:石川数正・康長
主要城主:石川氏・戸田氏
慶応3年当時
藩名:信濃・松本藩 / 禄高:6万石
家格:譜代 / 藩主:戸田丹羽守光則
諏訪高島城(長野)_2015 [日本のお城 上信越]
諏訪高島城は、20数年ぶりの訪問です。
昔は、お城の際まで諏訪湖の湖水が迫り、湖上に浮いて見えたようです。
今は、街中に水城に面影を残し、天守からは、諏訪湖を望めます。
川渡門は、そこから船に乗って出るための門でした。
撮影日時:2015年 6月 5日(金) / 撮影箇所:復興天守・角櫓ほか
(大きな写真はこちらへ)
冠木門・冠木橋
角櫓
川渡門
天守閣より諏訪湖を望む
別名:諏訪の浮城、浮島城、島崎城 / 城タイプ:水城
昔は、お城の際まで諏訪湖の湖水が迫り、湖上に浮いて見えたようです。
今は、街中に水城に面影を残し、天守からは、諏訪湖を望めます。
川渡門は、そこから船に乗って出るための門でした。
撮影日時:2015年 6月 5日(金) / 撮影箇所:復興天守・角櫓ほか
(大きな写真はこちらへ)
冠木門・冠木橋
角櫓
川渡門
天守閣より諏訪湖を望む
別名:諏訪の浮城、浮島城、島崎城 / 城タイプ:水城
遺構:石塁・堀・復興天守 / 築城年代:文禄元年(1591)
築城者 :日根野高吉 / 主要城主:日根野氏・諏訪氏
慶応3年当時
藩名:信濃・高島藩 / 禄高:3万石
家格:譜代 / 藩主:諏訪因幡守忠誠
藩名:信濃・高島藩 / 禄高:3万石
家格:譜代 / 藩主:諏訪因幡守忠誠
山本陣屋(長野)_2015 [日本のお城 上信越]
山本陣屋跡は、中央道 飯田山本IC近く 西林寺山門横に石垣が残っています。
車移動で中央道 飯田山本ICに入る前に行ってみました。
元和4年(1618)に近藤藩が減封廃藩となり、近藤家が旗本となりました。
寛政年間 山本村に旗本近藤氏による山本陣屋が置かれました。
車移動で中央道 飯田山本ICに入る前に行ってみました。
元和4年(1618)に近藤藩が減封廃藩となり、近藤家が旗本となりました。
寛政年間 山本村に旗本近藤氏による山本陣屋が置かれました。
撮影日時:2015年 3月3日(火) 撮影場所:石 垣
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西林寺山門
城タイプ:陣 屋 / 別名:山本陣屋
築城年:寛政年間 / 築城者:近藤氏
主要城主:近藤氏 / 遺構:石 垣
藩名:信濃伊那郡山本 旗本知行所/旗本:近藤利三郎政敏
禄高:4300万石 / 家格: 旗本 寄合席
(大きな写真はこちらへ)
西林寺山門
城タイプ:陣 屋 / 別名:山本陣屋
築城年:寛政年間 / 築城者:近藤氏
主要城主:近藤氏 / 遺構:石 垣
藩名:信濃伊那郡山本 旗本知行所/旗本:近藤利三郎政敏
禄高:4300万石 / 家格: 旗本 寄合席
高遠城(長野)_2014 [日本のお城 上信越]
桜で有名な高遠城ですが、秋の紅葉も良いですね。
夕方で小雨も降っており、ほとんど人がいませんでした。
小雨に濡れる紅葉は、水滴と葉っぱが調和してきれいでした。
帰る時間のこともあり、本丸周辺だけでした。
機会があれば、高遠の城下町も歩いてみたいですね。
撮影日時:2014年11月 5日(水) 撮影場所:楼門・桜雲橋・問屋門・太鼓櫓
(大きな写真はこちらへ)
桜雲橋・問屋門
高遠城 楼門 太鼓櫓
別名:兜山城 /城タイプ:平山城 / 築城年・ 築城者:不明
主要城主:高遠氏・秋山氏・武田氏・仁科氏・下條氏
保科氏・毛利氏・京極氏・鳥居氏・内藤氏
遺 構:石垣、土塁、空堀、門
藩名:信濃・高遠藩 / 城主:内藤大和守頼直
禄高:3万3千石 / 家格:譜 代
夕方で小雨も降っており、ほとんど人がいませんでした。
小雨に濡れる紅葉は、水滴と葉っぱが調和してきれいでした。
帰る時間のこともあり、本丸周辺だけでした。
機会があれば、高遠の城下町も歩いてみたいですね。
撮影日時:2014年11月 5日(水) 撮影場所:楼門・桜雲橋・問屋門・太鼓櫓
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桜雲橋・問屋門
高遠城 楼門 太鼓櫓
別名:兜山城 /城タイプ:平山城 / 築城年・ 築城者:不明
主要城主:高遠氏・秋山氏・武田氏・仁科氏・下條氏
保科氏・毛利氏・京極氏・鳥居氏・内藤氏
遺 構:石垣、土塁、空堀、門
藩名:信濃・高遠藩 / 城主:内藤大和守頼直
禄高:3万3千石 / 家格:譜 代
伊豆木陣屋(長野)_2014 [日本のお城 上信越]
伊豆木陣屋の遺構は、小笠原書院として現在も残っています。
説明員の方に書院の中を案内してもらいました。
身分の違いによる部屋の作られ方、座敷の座り位置など殿様の権威が想像できました。
また、書院だけしか残らなかった明治維新での大きな変動も感じました。
小笠原資料館は、著名な建築デザイナーが手掛けた建物です。
歴史を感じさせる書院、現代を象徴する小笠原資料館 対照的な建造物でした。
帰る時、建築科の高校生団体が見学に来ていました。
城タイプ:陣屋 / 別名:小笠原書院
築城年:寛永初期(1624~1634)/築城者:小笠原長巨
主要城主:小笠原氏 / 遺構:書院・石垣・移築城門
藩名:信濃伊那郡伊豆木 旗本知行所/城主:小笠原兵庫助長裕
禄高:1000万石 / 家格: 旗本 交代寄合衆(信濃衆)
説明員の方に書院の中を案内してもらいました。
身分の違いによる部屋の作られ方、座敷の座り位置など殿様の権威が想像できました。
また、書院だけしか残らなかった明治維新での大きな変動も感じました。
小笠原資料館は、著名な建築デザイナーが手掛けた建物です。
歴史を感じさせる書院、現代を象徴する小笠原資料館 対照的な建造物でした。
帰る時、建築科の高校生団体が見学に来ていました。
城タイプ:陣屋 / 別名:小笠原書院
築城年:寛永初期(1624~1634)/築城者:小笠原長巨
主要城主:小笠原氏 / 遺構:書院・石垣・移築城門
藩名:信濃伊那郡伊豆木 旗本知行所/城主:小笠原兵庫助長裕
禄高:1000万石 / 家格: 旗本 交代寄合衆(信濃衆)
飯田城(長野)_2014 [日本のお城 上信越]
飯田城跡には、飯田合同庁舎もあり、今も行政の府として健在ですね。
桜丸御門(赤門)が現存しています。
脇坂氏時代の桜丸門は、経蔵寺の山門として移築されていました。
二の丸 八間門は、市内の民家(羽根庄 木下家)に移築保存されていました。
前に田んぼがあり、稲の緑の波を前景に趣きある姿でした。
桜丸御門(赤門)が現存しています。
脇坂氏時代の桜丸門は、経蔵寺の山門として移築されていました。
二の丸 八間門は、市内の民家(羽根庄 木下家)に移築保存されていました。
前に田んぼがあり、稲の緑の波を前景に趣きある姿でした。
2014年 7月17日 (大きな写真は こちらへ)
撮影場所:現存:桜丸御門(赤門)移築現存:脇坂氏時代の桜丸門、二の丸 八間門
現存:桜丸御門(赤門)
移築現存(経蔵寺 山門):脇坂氏時代の桜丸門
移築現存(羽根庄 木下家):二の丸 八間門
城タイプ:平山城 / 別名:長姫城
築城:13世紀初め(板西氏)
戦国時代(秋山信友、毛利秀頼、京極高知)
主要城主:秋山信友、小笠原氏、脇坂氏、堀氏
遺構:現存 桜丸御門(赤門)
撮影場所:現存:桜丸御門(赤門)移築現存:脇坂氏時代の桜丸門、二の丸 八間門
現存:桜丸御門(赤門)
移築現存(経蔵寺 山門):脇坂氏時代の桜丸門
移築現存(羽根庄 木下家):二の丸 八間門
城タイプ:平山城 / 別名:長姫城
築城:13世紀初め(板西氏)
戦国時代(秋山信友、毛利秀頼、京極高知)
主要城主:秋山信友、小笠原氏、脇坂氏、堀氏
遺構:現存 桜丸御門(赤門)
移築現存 脇坂氏時代の桜丸門・二の丸 八間門
藩名:信濃・飯田藩 / 城主:堀美濃守親広
禄高:1万7千石 / 家格:譜 代
藩名:信濃・飯田藩 / 城主:堀美濃守親広
禄高:1万7千石 / 家格:譜 代
阿島陣屋(長野)_2014 [日本のお城 上信越]
陣屋跡は、保育圓になっています。
保育園 駐車場の入口が冠木門(模擬)になっており、陣屋跡の説明もありました。
茶室(曙月庵)と石垣が現存していました。
2014年 7月17日 撮影場所:冠木門(模擬)・冠木門(模擬)
城タイプ:陣屋 / 築城年:慶長6年(1601)/ 築城者:知久則直
主要城主:知久氏 / 遺構:茶室(曙月庵)・石垣・冠木門(模擬)
藩名:信濃伊那郡阿島 旗本知行所 / 城主:知久頼温
禄高:2770万石 /家格: 旗本 交代寄合(信濃衆)
保育園 駐車場の入口が冠木門(模擬)になっており、陣屋跡の説明もありました。
茶室(曙月庵)と石垣が現存していました。
2014年 7月17日 撮影場所:冠木門(模擬)・冠木門(模擬)
城タイプ:陣屋 / 築城年:慶長6年(1601)/ 築城者:知久則直
主要城主:知久氏 / 遺構:茶室(曙月庵)・石垣・冠木門(模擬)
藩名:信濃伊那郡阿島 旗本知行所 / 城主:知久頼温
禄高:2770万石 /家格: 旗本 交代寄合(信濃衆)